それはどのように決まっていくのだろう。
ヘッドマークの由来・歴史を辿ると、1人の工業デザイナーにたどり着く。 名を黒岩保美という。
国鉄でヘッドマークのデザインなどを担当していたという黒岩氏。国鉄色を作った人ともいわれている。デザインした列車は、戦後初の特急「へいわ」号を始め、ゆうづる、富士、日本海、あけぼのなど。往年の名列車の冠は彼が作ったのだ。
今ではヘッドマークなどは、その車両のデザイナーが担当していることが多い。別注することもあり、E26系カシオペアのヘッドマークはフランス人デザイナーの方に作製を依頼。
列車の愛称から連想するイメージを落とし込み、そのデザインを見て列車を連想するようなものを作らなけらばならない。列車そのもののデザイン、列車のブランドを作るとも言えるような仕事だが、どれも見事だと思う。
SL牽引の客車時代から、国鉄の特急車両の485系、583系、寝台車両の20系、24系まで、ヘッドマーク・サインが主流になって用いられていた期間はかなり長い。だが、近年ではそうしたヘッドマークを持つ車両が減ってきている。
その理由は、みな同じ形式・同じカラーの車両が使われていたことにある。その頃は、ヘッドサインやそこに書かれた列車名、方向幕など、列車を判別する材料はその程度しかなかった。
それが、時が経つにつれて車両の種類が増え、「△△系=〇〇〇(列車名)」と車両そのもので列車が区別できるようになった。"車両は同じだが目的地が大きく異なる列車"が減ったことも大きいだろう。
結果的に、列車を判別するためのヘッドマークは不要となりつつあり、ヘッドサインを持たずに登場する列車が増えた。考えてみれば、当時は今のように新幹線網がない時代。東京・上野から日本各地を目的地とする列車が発っていたのだ。ヘッドマークくらい無いとわかりにくくてしょうがない。
車種が増え、交通手段が増えた結果、あまり必要なくなったのだ。
だが個人的には、サービスの根本は変わっていないと考えている。ヘッドマークに落とし込んでいた列車のイメージ、目的地の特色などを、車両全体で表現するように変わったとも言えるからだ。根本の目的は変わっていなくて、表現の仕方が変わっただけ。コストをかけてわざわざヘッドマークをデザイン、それらを設置する理由はなくなっただけなのではないか、と。手間暇がかかることはしない、コストはできるだけ削る、それが世の常だろう(笑)。
だけど今と昔、どちらがわかりやすくなったと感じるだろう。車両で一目見て行先・列車名がわかる方が良いか、ヘッドマークなどで判断するしかないか。基本的には、世の中は便利で合理的な方に進んでいるので、今がわかりやすいと思う人が大半かもしれない。
だが、こうした変遷を辿ると、個人的にはちょっとした不便さやわかりにくさが、味が出ていて好きだなと思ったりする(笑)。その方が思い入れしやすい気がして良いなぁなんてね。うーん、うまく言い表せないので今回はこの辺で(笑)。
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